左右脳バランス、自律神経、感覚異常、運動障害を改善
藤沢 カイロプラクティック
 

カイロプラクティックと整体の歴史

 

カイロプラクティックの歴史


カナダ生まれの米国人、DDパーマー(ダニエル・デービッド・パーマー)によって1895年(明治28年)によって創始された徒手療法。
 
彼が設立したアイオワ州ダベンポートにあるパーマー・スクール・オブ・カイロプラクティックを卒業した川口三郎(かわぐち さぶろう)によって、1916年(大正5年)に日本へ伝えられました。
 
日本人最初のカイロプラクターは1907年にパーマースクールを卒業した森久保繁太郎(もりくぼ しげたろう)ですが、彼は卒後、米国で生涯を過ごしました。その後、かなりの数の日本人が米国へ留学しましたが一時途絶え、1961年、戦後初のカイロプラクター、竹谷内一愿(たけやち かずよし)がナショナル・カレッジ・オブ・カイロプラクティックを卒業し帰国しました。
 
その後、多くの日本人がアメリカでカイロプラクティックを学び帰国し日本へその理論と技術を伝えました。現在では日本国内でも日本語で、アメリカや海外で行われている国際基準のカイロプラクティック教育が学べる環境が整っています。

(JACサイトより抜粋)


整体の歴史


現在の整体の起源は、医療としての中国推拿が日本に伝来し(注*事実関係は未確認)、日本独自の手技療法に変化したものであり、長年にわたり民間療法つまり「療術」(治療ではない)として多種多様に存在していた。
 
近年、[伝統中国医学]]の手技療法や、大正時代に日本に伝わったオステオパシーやカイロプラクティックなどの欧米伝来の手技療法と、当時の施術家たちの独自の工夫などを加えたものを集大成したものが現在「整体」と呼ばれるものである。整体創設初期においては整体の事を、正体・正體・整胎術等と呼称していた。 整体は「正體」・「正体」・「正胎」という名で呼ばれていた自己改善療法が、野口により「整体」と命名された。今日では野口の整体を他の施術法と区別する際には「野口整体」と呼ばれる。現在も整体はさらなる変化を続け、様々な手法が用いられており、これらを統一した手技療法とすることは困難であるとされる。
 
野口整体では「人間にあるという体癖(体の歪み)を愉気法や活元という独自の方法で自己治療し、修正現象がおきることで自然体になる」とする。基本的には他人を施術するのではなく自分で自分を施術できるよう指導するのが野口整体の整体道場である。

(JWikipediaより抜粋)